耐える心に、新たな力が湧くものだ。
全てそれからである。
心機一転、やり直せばよいのである。
長い人生の中で、そのための一年や二年の遅れは、モノの数ではない。
本田宗一郎さんと言えば、日本を代表する「ホンダ」の創業者です。
静岡県の鍛冶屋の息子として生まれた本田宗一郎さんは、15歳の時に東京の自動車修理工場に丁稚奉公に出たそうです。
そして、郷里に戻って自動車修理工場を操業されました。
戦後の混乱期にオートバイ生産を始めていき、やがては自動車生産にまで至り、現在は世界的にも有名な企業へと発展するようになりました。
そんな偉業を果たした方の名言です。
本田宗一郎さんのことでよく知っていることはやはり戦後のオートバイに取り組まれた時ですね。
女性にも乗りやすい自動二輪として、タイヤの大きさやエンジン音まで工夫に工夫を凝らしたオートバイは今もなお世界で使用される、素晴らしい製品を作られたなという印象です。
そんな本田宗一郎ですが、戦後はしばらくお休みを取られていたんですね。
軍需産業後の部品を眺めていたようなエピソードがあったような気がするんですが、間違えていたらごめんなさい。
でも、戦後の混乱期にオートバイを作りたいと思っても資金繰りなどで大変悩まれていたと思います。
そのときにも耐える心を培われたのではないかなと思います。
今まで取り組んできたことが台無しになる、そう思うと何も手を付けられなくなるかもしれませんが、心機一転やり直せばいいと思って取り組めばいいんだなって思うことができて、このフレーズがとても励まされます。
今なんて特にコロナのせいで今までやってきたことが全て台無しになっている人って結構いると思うんですよ。
特に先月あたりからお店を開いた方なんてそうじゃないですかね。
せっかくオープンできたのに外出自粛ですからね。
何のために頑張ってきたんだろうって思いますよ。
でも、何とかやり直せるって思わないと先に進めないですし、開き直るしかないんじゃないかなって。
こればっかりは自分の責任というよりも、本当にコロナのせいですからね。
この言葉もとても励みになるなと思います。
どうしても目先のことしか考えられないですからね、特にお金が絡むと。
それでも長い人生の中での1,2年なんて本当に大したことではないと言われると本当にその通りなんですよ、冷静に見れば。
人間挫折からどれだけ這い上がれるかが勝負なのかもしれません。
本当にGWでコロナが収束するかもわからない、見通しがない状況の中、どうしても不安が頭を駆け巡って苦しくなりそうな毎日です。
しかし、戦後の混乱期なんてもっと大変だったかもしれませんし、自分自身も高校生のころの大変さを考えれば何でもできるって思いますからね。
いかに自分が前向きに捉えられるかがポイントなのではないかなって感じました。
障害を持った方の在宅就労支援を行っています。様々なバックアップを精力的に行い、在宅勤務支援や様々な技術を有し支援に心強い味方となってくれます。
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