どんなに勉強し、勤勉であっても、上手くいかないこともある。
これは機がまだ熟していないからであるから、
ますます自らを鼓舞して耐えなけれなならない。
渋沢栄一は倒幕運動を企てたこともある幕末の方ですが、一橋家の用人のすすめで後の15代将軍である一橋慶喜に仕えることになります。
慶喜が将軍になったことで渋沢栄一は幕臣となり、フランスにわたって西洋の近代的な産業や諸制度を見ることになります。
明治維新後に帰国した渋沢栄一は、徳川家と共に静岡に移り住みます。
静岡で商法会所という銀行と商社を兼ね合わせたような組織を作りますが、これが日本で初めての株式会社だと言われています。
この動きに新政府が関心を寄せ、大隈重信に説得されることで明治新政府に出資することになります。
ここから渋沢栄一は新政府のもとで財政制度や貨幣制度の導入などで活躍します。
しかし、軍の予算削減を認めてもらえなかったことで渋沢栄一は日本政府から離れることになり、ここから実業家へと転身して約500社ほどの会社の設立にかかわりました。
会社だけでなく、東京株式取引所や東京手形交換所などの設立にかかわったことから、渋沢栄一は「日本資本主義の父」とも言われています。
数々の会社設立にかかわったと言えども、それまでの道のりには様々な困難があったと思います。
詳しくは知りませんが、おそらく上手くいかなかったこともあるのではないでしょうか。
真面目に毎日毎日取り組んでもすべてが実を結ぶわけではありません。
そのことで挫折することなんて実は普通なことなのかもしれませんが、ここで諦めてしまうこと、諦めてしまう人は多いかもしれません。
毎日毎日やってもやっても実を結ばなくて、やっぱり駄目だと思いがちですが、そうではなくて自らを鼓舞しなければならないんですね。
もっと言うなら、周りからもう辞めたらとか言われてしまうこともよくあることです。
できれば一緒に鼓舞できる人がいればいいですが、それでも最終的には自分なんですよね。
自分自身のことを信じなければ芽を出すことはありませんから、どんなに頑張って実らなかったとしても、ここ一番の耐えるところってときがあることを渋沢栄一は伝えている気がします。
どんなことでも最終的には自分が決めなければなりません。
それでも自分が後悔しなければいいとは思います。
後悔しない決断がなによりも大切ですね。
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